イラン西部旅行:ケルマンシャー、サナンデジュ、パランガーン

前回に引き続きイラン西部のケルマンシャー州とクルディスタン州に旅行してきました。

ケルマンシャーとクルディスタンの位置は地図上ではこんな感じです。

みどころ

イラン西部に位置するケルマンシャーとクルディスタン州はイランの中でもクルド系の人々が多く暮らすエリアです。彼らは独自の言語を持っており、前回のホーゼスタン州と同様に、公用語はペルシア語ですが、生活言語としてはクルド語を使用しています。

ケルマンシャーは昨年イランとイラクを襲った地震で被害を受けた地帯でもあり、イラン暦新年のノウルーズには、大統領であるハサン・ロウハニー氏もこの地に慰問に訪れました。

ケルマンシャー

見どころ

ターゲ・ボスターン


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ケルマンシャーの都市自体は地震で甚大な被害を受けたこともあり、見どころは多くありません。
ただ、古代からの遺跡は存在し、その中の一つが、ターゲボスターンです。

街の中心にある、アーザーディー広場からは南北を貫く幹線道路に沿った公共バスがあります。運賃はたしか、 4000rial(8円)ほど

入場料は他の遺跡と一緒の200,000リアルです。

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ここにある壁画には、サーサーン朝ペルシア時代に王が神から王権を授かるレリーフが描かれています。
よく他のイランの壁画にもある、王の正当性を表す図になっています。サーサーン朝の国教はゾロアスター教なので、アフラ=マズダといった神々が描かれています。
紀元前からこのアフワーズとケルマンシャーの縦のラインは東方ペルシア世界とギリシアの戦争の舞台になっていました。

ビストゥーンの遺跡群

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ケルマンシャーの市街から30kmほど東に行ったところにはビストゥーンの遺跡群という世界遺産があります。ここに行くためには、ケルマンシャー中心のアザーディー広場からの乗合タクシーに乗る必要があります。だいたい60,000-130,000rial多少上下しました。

ビストゥーンの遺跡はかなり広範囲に散っていて歩いてみるだけでもかなり、体力がいります。おそらく夏場には日差しがもっときつくなって大変だと思います。

僕が行ったのは春の始めぐらいでまだ暑さがましな時期でした。夏を避けることをお勧めします。

ここには、サーサーン朝の前のアケメネス朝時代のダレイオスのレリーフが残っています。

遠くから見るとよくわかりますが、平原に大きな岩が座った格好になっており、歩いてたどり着ける時点からはるか高いところの岩に刻んであるのがわかります。現在修復中で詳しくは見れないですが、案内板があり、意味を解説しています。

近くにある史跡はアケメネス朝のもだけではなく、モンゴル侵入後に建設された、イルハン朝時代の隊商宿の跡も残されています。
ほぼ基礎しか残っていませんが、スタイルは現在でも残るイランの伝統的な宿と同じような構造であり、真ん中には小さい噴水が用意されてそこを部屋が囲むようなスタイルになっています。続きを読む →

イランでのアジア人差別

中学校の現代文の教科書だかに、『温かいスープ』という話が収録されている。ざっというと、戦後の日本がヨーロッパで肩身がせまい思いをしている時期に、貧しく人種差別に会いながら留学生として過ごした筆者が、心温まるフランス人に心遣いに国際性の一片を見出すという話である。

最後には

国際性、国際性とやかましく言われているが、その基本は、流れるような外国語の能力やきらびやかな学芸の才気や事業のスケールの大きさなのではない。それは、相手の立場を思いやる優しさ、お互いが人類の仲間であるという自覚なのである。その典型になるのが、名もない行きずりの外国人の私に、口ごもり恥じらいながら示してくれたあの人たちの無償の愛である。求めるところのない隣人愛としての人類愛、これこそが国際性の基調である。そうであるとすれば、一人一人の平凡な日常の中で、それは試されているのだ。

残念ながら、私はこれまでの苦しい思いをさせられてこう言った優しさの一片に触れたとしても、最後のように国際性を自覚するように美しく終わらせることはできない。

ある意味中東で生活、働く人にとってはこういったことが通過儀礼で、慣れるようにしなければいけないものなのかもしれないが、枕を濡らした夜と、ノートに書かれた記録を見返すたびにやはり思う。

差別は辛い。

私は男性なのでセクハラを含めた、嫌がらせというのはほとんど被害にあわない。ただ、それでも通りを歩くだけで、「中国人」(ここでいう中国人は、国を馬鹿にしてるわけではなくアジア人全体を指しているようである)笑われたり、酷い場合では石を投げられたりする。

もちろんこう言った行為が我々アジア人だけにされているわけではなく、ヨーロッパから来た学生にも嫌がらせはあるみたいだが、それでもヨーロッパからの留学生と一緒に通りを歩いていると、とてもびっくりされる。「こんなこと言われて嫌じゃないの?」

ある程度は慣れるかもしれないけれども、それでもゆっくり金属が錆びていくように、心は傷つけられてある節にそれが一気に現れてしまう。通りに出るのにも嫌になって、出不精になってしまうし。

また、嫌になる瞬間は通りで歩いてる時だけではない、例えば普通に人と話していて「セルフィーをとろう」なんて言われる時だって、やはり自分がまるで「天然記念物」かのように扱われていることに気づく。このようなことから自分が写真を撮られることは嫌いだと言っても、理解されない。

イラン核合意とイラン経済

イランの経済の鍵を握る核合意

米国大統領のトランプ氏がイラン核合意を破棄するかの重要な決定を5月12日に行うとして、注目が集まっています。彼は大統領の椅子に着いた時から、イラン核合意が米国の国益にとって不当な取引であると強調し、核合意からの離脱を強調しています。

イラン核合意の中身とは

イラン核合意は、イランと欧州各国の間に締結された合意で、イランが核開発を凍結して査察を受け入れる代わりに、欧米がイランにかけている経済制裁を緩和するというものです。

つまりこの合意が破棄されれば、どのような形であれ、イラン経済にダメージが与えられることになります。実際に核合意破棄の流れが濃厚になった現在、原油取引の停滞を予想して、NY原油がここ最近の高値で取引されていることがニュースになっています。日本経済新聞:NY原油、70ドル突破3年5カ月ぶり

政治に敏感な為替の動き

アメリカが核合意の破棄をちらつかせることによって、一番大きく変化しているのがイランの法定通貨であるリアルの大幅な下落です。

半年前には1$あたり47,000リアルで取引されていたのに対し、現在は市内の交換所では現在70,000リアルで取引されているとの情報が出されています。

Iran currency the Rial trading as low as 70,000 to the dollar today ahead of expected Trump nixing of nuclear deal, despite Rouhani assurances this morning that nothing will change if US exits JCPOA and Iran ready for anything Washington does.:Bozorou Daragani

 

これをうけて、4月にイラン政府は公定レート1$=42,000リアル以外での全ての取引を禁止する旨を発表しました。イランの銀行ではこのドルを交換してはいますが、市内の銀行は殆ど開店休業状態です。

外国人に対しては影で交換してくれるようです。また、イラン人には一定額以上の外貨の所持も禁じているようで、とうとう混乱が目に見えてきています。

現在僕の目から見た状況は上の引用とまではいきませんが、今日ドルを交換した結果、1$=62,000リアルでの交換でした。

イラン国内への影響

核合意破棄への揺さぶりでこれだけ為替が変化していることからも分かる通り、一応米国が破棄に動くことは明白ではありますが、5月12日のトランプ大統領の裁定の後は、リアルの下落が予想されています。

それに伴い、物価も上昇するでしょうし、政府への人々の不満も高まるでしょう。

通信規制

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イラン南西部旅行:アフワーズ、シューシュ、シューシュタル

今回はイラン南西部のイラク近くのアフワーズとその近郊の町シューシュとシューシュタルに行ってきました。

アフワーズの位置はイランの南西部に位置し、南側のバンダレエマームホメイニーはペルシア湾の小湾都市としても重要な役割があります。

イランなのにアラブっぽい?

これら三都市が位置するホーゼスターン州はイラクに程近く、またイラン人とイラク系のアラブ人が一緒に住んでいるエリアとしても有名です。
イランではありますが、人口の半分余りがアラブ人で、公用語としてはペルシア語ですがアラビア語を常時使用している人たちもいます。

家庭ではアラビア語、学校ではペルシア語というように住み分けされているようですが、アラブ人同士ではアラビア語で会話しています。ペルシア語ができれば旅行するには十分です。

三都市の観光名所は?

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初めてのエジプト:シャルム・エル・シェイフ 旅行編

前回の安全情報編に引き続きエジプトのシナイ半島南部シャルム・エル・シェイフについてです。

シャルム・エル・シェイフの観光地とは

シャルムはシナイ半島南部観光の中心的街であり、真ん中には国際空港が位置しています。空港にはイスタンブールやドバイからの国際便が就航し、街は外国人の観光客で溢れています。

ではどんな観光地があるのかという疑問が上がりますが、主要な観光地はシャルムの近郊に位置しており、街自体に観光名所が存在するわけではありません。

大抵のシャルムのホテルは海岸に建設してあって、ホテル専用のビーチが併設されていたり、プールがあったりします。また、周辺の観光施設への便も良いためシナイ南部を観光するときはシャルムに滞在する場合が多いようです。

気候は?

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はじめてのエジプト:シャルム・エル・シェイフ、安全編

トルコでこんなことがありつつも、今回の最終目的地はエジプトです。
なお以下の情報を参考にして旅行されたとしても、責任は一切負えません。また情報は2018年3月現在です
今回エジプトを選んだ理由は大きく三つあります。

1.イラン人から逃げたい
2.海が見たい
3.エジプトに行きたい

1.については賛否両論ありますが、やはりずっと滞在していると疲れてくるのも事実です。今回はノウルーズというイラン暦新年の時期であり、中国で行ったら旧正月のような季節です。なので国外でもイラン人で観光客が溢れるということになります。(数は多くはないですが、観光地に行ったらわかってしまうのです。)

エジプトは幾度のイスラエルとの中東戦争のおかげで、現在はイスラエルを国として承認するに至り、イラン革命以来からイランとは国交断絶状態です。つまりはイラン国籍の人物はエジプトに入国できないことになります。(二重国籍の人を除き)ゆえに、エジプトにイラン人はほとんどいないわけです。

2.は内陸の都市に住んでいる僕にとって、旅行の一つの目的はうみを見ることです。今回のシャルムの近くにはダハブというダイビングで有名な待ちもあります。

3.は大学で一年間取った第二外国語のアラビア語が関係しています。先生はエジプト人でいつかは言って見たいと思っていました。

ということで、エジプトのシャルム・エル・シェイフ(Sharm El Sheikh:شرم الشيخ)で何もしない休日を過ごすことになります。

シャルムの場所はこちら。シナイ半島の南側になります。

シナイ半島は危ないのか?

エジプトの安全情報はこんな状態です。
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シャルム・エル・シェイクはシナイ半島の南側に位置し、この図ではレベル1「注意喚起」に分類され、周りはレベル3「渡航中止勧告」の地域に囲まれています。

情勢

シナイ半島の情勢については、北部ではISIS傘下勢力の活動が報告されており、昨年末には200人以上が死傷する、モスクへのテロ攻撃がありました。

外国人はニュースの的になり目立つので、テロ攻撃の対象になりやすいですが、ISIS建国以来のテロはロシア旅客機を狙った2015年のテロ以外は発生していません。2015年でのテロでは爆弾が空港の保安検査を通して持ち込まれた経緯もあり、現在では保安状況は強化されています。

安全かどうか

エジプトでは、各都市間の幹線道路に検問があり、通行はチェックされています。
特にシャルムの街だけに関して言えば、ホテルのゲートは関係者以外立ち入り不可能になっており、ホテルの入り口に金属探知機があります。が、気休めにしか過ぎません。

正直言って全ての車両に金属探知機をかけているわけではないし、警備員は束の間の平和でダレている様子なので、テロは起こそうと思えば起こせる状態だと思いました。続きを読む →

トルコで遭遇!タクシー釣銭詐欺

タクシー。それは往往にして便利な乗り物でもありながら、乗客と運転手の立場の違いによって、トラブルの種になりやすいものです。

いつかは引っかかると思っていたものの、今回はトルコで引っかかってしまいました。

タクシー乗車後、「支払いはドルでいいよ」

その日は1日歩き、疲れ切っていました。
イスタンブールはメトロが充実しており、地下鉄でも空港に向かうことができたのですが、乗り換えが面倒かつ余分なトルコリラも両替してあったので、タクシーで向かうことにしまいました。

この時点で時間は夜の8時。国際線の飛行機の時間は深夜一時なので時間があります。

タクシー乗車後、交渉を始めましたが、メーター制だと主張され、最初に価格の保証はありませんでした。その時手持ちのトルコリラが十分あるのか確認するために空港までは大体いくらぐらいで行けるのかと聞きました。

手持ちはギリギリ払えるか払えないかといった段階で、もしもトルコリラが十分でなかったら、ドルで払うと言う約束をします。運転手は英語が少しできるくらい。僕はトルコ語は数字くらいしかわからないので、アラビア語とペルシア語のトルコ語にありそうな単語で繋げます。

なんだか妙に優しい運転手

二度目のトルコ、またイランでの癖もありついつい喋りすぎてしまったのが、相手に隙を与えたようです。おそらく、空港への道のりですでにカモだと思われていたのかもしれません。

ここから渋滞が始まると言われて、近くのコンビニエンスストアにより、彼は僕が断ったのにも関わらずレッドブルを買ってきました。中東だと高いのになぁと思ってうやうやしく貰うと、そのあとに待ち構える交通渋滞はすんなり抜けました。街で拾うタクシーにしては優しいなぁと思いながら乗っていました。この後旅を通じて人間不信になっていくのと、このレッドブルが高くつくのはまた違ったお話です。
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破れたお札が使えない

空港に着きました。
ATMから引き出したトルコリラは破れていたらしく、支払いには使えないとの旨を言われました。イランでは破れたお札なんか(それぞれ価値が低いので)平気で使ったり、セロテープで何重に巻かれたお札を渡しても全く問題が中たので少しびっくりしました。

この時点では怪しいとは思いませんでしたが、ドルで小銭を出そうとしたら、拒否して100ドル札にこだわろうとする…

(今思うとものすごく怪しいですが、その時はそう思えませんでした。)

高額紙幣は財布の中ではなく、胸の中のポケットに隠しておいたので気が引けますがそこから100ドル札を引き出します。

取り出すのが難しいところに隠しておいたので、それに取り出すのに集中して目の前で札を確認さして100ドルを渡すのを怠りました。

すると、「え、1ドル札を間違って渡してるよ」

え?

ここから長い戦いが始まります。

前提

前提ととして、その時持っていた100ドル札は昔々に日本で両替したものでした。日本で両替すると米ドルは大抵新札でくれます。偽札が多いために、米国から空輸してくるそうです。そのために、僕は100ドル札を連番で持っています。なので、もし彼の身体から100ドルが見つかっても僕のものだと主張ができます。

また、残高も把握していたので、一瞥しか与えていないからといって、100ドル札を渡したことは明確です。一歩も引くことはできませんでした。

相手が苛立つ

カモだと思っていたのか、僕が抵抗するとかなり苛立った様子でした。
警察に行けと言ったかつ、飛行機が遅い時間だったので、長期戦覚悟でした。
でも渡してしまったものはかえって来ないなと思っていました。

その時は疲れ切っていたのですが、さっき飲んだレッドブルのおかげで口論するくらいの元気は出てきました。
執拗なくらい相手の体を調べたのですが、車のどこに隠したのかわからないので、こちらに不利です。

30分くらい戦い続けて、当初言っていた値段の半額ぐらいで交渉は落ち着きました。

トルコを旅行するのは2回目で、前回はヒッチハイクで1200kmぐらい中東部を旅したのですが、その時の経験がとても良かったのに対し、このクソ野郎のせいで、完全にイスタンブールの印象が悪くなってしまいました。

くれぐれも高額紙幣を支払う時は相手と一緒に確認することを心づけることだと思いました。

しかし、これはまだ序章にしか過ぎないのです。修羅の国エジプトへと続きます。

トルコ1日トランジット旅行;イスタンブール

毎年3月の終わりにはイラン暦の終わりで、ノウルーズという新年のながいお休みがあり、今回はそれを利用して、イラン国外に旅行することにしました。

行き先はイランと現在国交断交状態にあるエジプトイラン革命の頃からこのような感じなので、イラン国民はエジプトに渡航することはできません。幸いにも僕は日本国籍ということで今回エジプトに旅行することにしました。

トルコ航空の無料市街ツアー

トルコ航空ではイスタンブールでの長時間トランジット客向けのために、無料で市街ツアーを提供しています。今回は乗り継ぎの時間がたまたまあっていたので、早速参加してきました。

ツアーの申し込み場所は、トルコへの入国審査を抜けてバゲッジクレームを経て制限エリアを出た右手の端にあります。かなり端っこなので僕は少し迷いました。とにかく端っこのスターバックスを目指して、Turkish Airline Hotel desk の看板を見つければ大丈夫です。

意外と大所帯

事前に記事を見ていたところでは、あまりそのころはあまり情報が伝わっていなかったのか、10人以下の参加者ということでしたが、僕が参加した時の参加者の数は実に50人以上!

時間は毎日流動的なのかもしれませんが午前9時開始でした。そのため、隣のスターバックスには開始に向けて待機する人でいっぱい。

食事はついてきます

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イランの新年:ノウルーズ、チャハールシャンベスーリー

イランでは、主にイラン暦という特殊な?暦を使っています。

このイラン暦というのは、イスラーム圏でよく使われている、ヒジュラ暦とも西暦ともまた違った暦で、旅行者の人にとっては戸惑いの元になる暦でもあります。

例えば今日、3月19日はヒジュラ暦ではですが、イラン暦では、のということになっています。
なんのことか一体わからないようですが、イスラーム圏で使われているヒジュラ暦は太陰暦であり、毎年西暦からずれていくのにたいし、(断食月はヒジュラ暦月に基づいて行われるので、毎年時期が変化するのはこのせい)、イラン暦は太陽暦であり、西暦とリンクしています。それらのになぜ、西暦を使わないのかというと、ほとんどイランの祝日はこのイラン暦を基準にしており、イランの人にとっては使い勝手がいいという、利点があります。

そのイランの暦の中で、イランの新年では3月22日に当たります。この新年には、日本の年明けと同じような様々なお祝いが行われます。

チャハールシャンベスーリー

そんなイラン暦12月最後の水曜日にはチャハールシャンベスーリーという行事を行います。チャハールシャンベとは元々は水曜日という、意味なのですが続きを読む →

変圧器が爆発したから、2月4日は爆発記念日

「それ」は突然だった。

夕方のアザーンが聞こえる頃、窓を向いて本を読んでいたらそれは起こりました。

ボンッという音とともに、向かいの小学校がパッと白く光って、あたりが一気に明るくなりました。何が起きたのか全くわからないけど、最悪「外国人相手のテロかもしれない」なんて思って部屋にいることにしました。

すると、電気が消えて、何も見えない状況に。当日は断水もしていたので、水も電気がない状況に。

爆発の後、何事かとおもって、隣人と相談した結果、何かが爆発した模様と判明。とりあえず建物は無事だし、攻撃ではないだろうと安心しました。

外に回ってみると、原因の元となった、変圧器がそこに。「これは復帰に二、三日かかるんじゃないかなぁ」なんて話しながら、部屋でろうそくに火を灯しました。

流石に海外で危険への感度が高まっているので、前に結婚式で爆竹を鳴らしている音を真夜中に聞いた時も銃撃かとおもって、避難したほどです。

今日も、イランの大統領府に刃物を持った男が侵入し、警備員に銃撃されるという事件がありました。経済を取り巻く状況に不安が付きまとい、直接行動に出る人も中にはいるみたいです。侵入した男は、捕まえられて病院にいるようで、またロウハニ大統領にも脅威はなかったと報じられています。

今年、この瞬間イランにいる間に色々な時間が起きるのは幸運なのか不運なのか..