アルバイーン

昨日11月9日木曜日はアルバイーンで休日でした。もともと木曜日はイランでは学校は休みですが、国家の祝日では街が一斉に休日モードになります。

アルバイーンとは

アルバイーンとはアラビア語で40を意味します。なぜ40が祝日なのかというと、先日のエマーム・ホセインが殉教したことを記念するアーシュラから40日目という意味になります。

この40という数字の由来を聞きましたが、イスラム教では意味のある数字が幾つがあって、その一つだそうです。仏教の49日に似てるのか、この40日経ったら基本的に喪が開けます。

街に行ってみた

先日のアーシュラの時にイマーム広場(メイダーネ・ナグシェジャハーン)にいったら、大勢に人が詰め掛けていて、お茶と食事が提供されていました。モスクでは男女に分かれて追悼する集会が開かれていて、想像していたものよりもずっと大きな行事でした。

アルバイーンでも似たようなものがあるかと思ったら、…ない
喪に服して黒い旗がはためいてるだけで、集会もないし、なにやら炊き出しでイラン人が集まっている様子もありませんでした。

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アルバイーンでは街にいるよりもイラクに巡礼に行く

そもそも、アルバイーンでは信仰心の篤い人たちはイラクのカルバラに巡礼に行くので、イラン国内にはいないようです。カルバラへの巡礼はシーア派のかなり大きな行事で、200万人以上の人々がカルバラのホセイン廟に追悼のために巡礼してきます。

僕の幾らかの信仰心の篤いイラン人の友達は、家族でこのカルバラに巡礼旅行に行っていました。道中は旅人に施しがなされ、例えば宿が無料で提供されたり、食事が提供されたりするようです。

二百万人の人々が巡礼に行くのだから街が空っぽになるのかと思ったら、そうでもないですが、アーシューラーのときのような盛り上がりはなく、「休日」といった感じでした。お店は少ししか空いてないし、家族でみんなひと時を過ごすようです。

そもそもホセインとは?

アーシュラとはカルバラーの戦いにおいて、ヒジュラ暦61年にホセインが殉教したことを追悼しています。この戦いでヤジディー率いるスンナ派ウマイヤ朝の軍隊とシーア派のホセインが交戦し、圧倒的な軍隊の差でほぼ虐殺といえるかたちで、ホセインの軍隊が敗北しました。

シーア派の人々にとっては、この敗北が大きな出来事であり、また悲惨な出来事であったことから、追悼行事がその時の苦難を思い起こさせるための精神的に大事な行事になっています。

これ以降、シーア派とスンナ派の間に大きなわだかまりが残ることになります。海外在住の日本人向けに、外務省から広域情報が出されていました。

直接の原因になったわけではないですが、実際にこの期間に宗派対立が深まった出来事があります。レバノン緊張高まる サウジ、自国民に退避勧告 イランの介入拡大警戒 イエメンから発射されたミサイルをサウジアラビアが迎撃したことに端を発する出来事ですが、宗派対立による緊張がまた一段と高まる結果になってしまいました。レバノンに旅行できればいいなと思っていたので、残念です。

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