イランが僕を変えさせたこと

「いらっしゃいませ」「1020円になります。」

日本でコンビニに行った時の普通のやり取りですが、どこか寂しさを感じてしまうのは僕だけでしょうか。やり取りを煩わしいと感じる人にとってコンビニはとても便利だけれど、それを利用するときにどこか人間味がないようにイランにいると思えてしまいます。たった二言で買い物が成立してものがやり取りされるんです。それもお客側は大体何も言葉を発さないで売買が成立している。ATMじゃないんだから、コンビニを利用しているんだか、コンビニに利用されているのだかわからないような。

煩わしいやり取りがなくて、ジャージでも買いに行けて気を負わずに買い物ができるというのも利点ですが、普段利用するのにしてはなんともやりとりが少ない気がする。

イランが変えさせたのだろうか、自分が変わったのだろうか

イラン人から私たちも見習うべきものでも書いた通り、イラン人は出会った時にサラームと言って挨拶をすることに事欠かない。買い物をする時だって、笑顔で挨拶してから物色し始める。

最初はこの単純なやり取りを苦手とする自分がいました。なぜなら会話に慣れてないし、そもそも、お店のやり取りで笑顔で挨拶する機会があまり日本でなかった。だって一方的だし、「いらっしゃいませ」と言われた時に対応する言葉がなかったから。

いつものこの「サラーム」の言葉は、なんだか人と人とのバリアを取り払うようなものだと思う。これを言えばもう対等に話せるし、逆にこの言葉がなかったらいつまでも関係はまだ「関わっていない」という状態のまま。

笑顔は貨幣よりも普遍的なモノ

笑顔で挨拶は最低限だけれども大切で、一番労力が要らずに効果が大きい投資です。

言葉が喋れなくて相手の言ってることを言ってるのがわからなくたって、自分の言葉が伝わらなくたって、「わからない」と言っても笑顔で素直に聞く姿勢をしていれば、認めてもらえるとまではいかないけれど、なんとなく通じ合える。

笑顔には言葉が要らない。また、どこでもどこの国でもどこの場所でも通じる、いわばお金よりも普遍的なものです。

人としてベーシックだけれど、大切なことを、気づかされました。

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