ドバイに逃避行しました。

留学生活も三ヶ月に近づき、イランにも多少慣れて来た頃です。

ところが、慣れたと思ったイラン生活にも、カルチャーショックではないですが、疲れてくるようになってしまいました。というのも、1日に4回ほどタクシーに乗った時です。毎回毎回どこから来たのやらなんの学問を勉強しているのやら質問ずくめで、挙げ句の果てには「将来の仕事は何になるの?」なんて質問まで。「そんなんこっちが知りたいわ!」と思いつつも真摯に答えてても結局最後にはぼったくられたり。

自分がアジア人でここらに住み人と違う民族性を持っていても、誰にもなれない環境を求めて、ドバイに週末に旅行することにしました。イラン暦で今月までは休日があるのですが、来月は休日が全くなく、年越しと新年初日も通常の授業があるというのだから驚きです。その最後の三連休にドバイに行って文明の空気を吸うことにしました。

衝撃の連続

ドバイへのフライトは遅れ、ほぼ出発予定の時間になって、空港全体にゴーという騒音が。飛行機が着陸しまし。結局出発は一時間以上遅れていますか、文句をいうイラン人の姿は見えず。こういったことには慣れているのかな?いや、交渉するだけの英語力がないからだろうかと思いながらひたすらにアナウンスで呼ばれるのを待っていました。

やはり海外に行くイラン人は上流の階級が多いらしく、ある出会ったある一人の男性は自分は美容整形の医者だと行っていました。試しに自分は「整形する必要があるのか」と聞いてみました。彼曰く整形は必要がないが髪の毛を切る必要はあるそう。

ドバイのひとは意外とペルシア語を話す

これは、思っていたこととは全く真逆のことなのですが、ドバイの人はペルシア語を話す人が多いです。これは場合によるのですが、例えば、空港に着いて入管を済ませた後の免税店で働いている人たちは、アジア系が多いのでイラン人が集まって来ても、「私たちはペルシア語を話せません」みたいない対応をしていました。

ただ、これがタクシードライバーの話になるとまた違います。彼らの大半はパキスタンやアフガニスタン、インドからの出稼ぎ労働者。もちろん英語を話せないと仕事になりませんが、彼らがペルシア語圏の出身だとペルシア語で会話することができます。(完璧なペルシア語でなくとも、方言程度の違いで理解し合えることがあります。)ただ、そのせいで、見くびられて自分が指定した場所から遠くに連れて行かれて、余分にお金を払わされる羽目になりました。ペルシア語で喧嘩してから別れたのですが、イランではUberみたいなアプリを毎回使っていて、普通のタクシーは使わないので逆に新鮮な体験でした。

日本が近い

多民族国家になっているドバイで、日本人を見つけることは困難ではないはずです。滞在中は偶然遭遇という機会はありませんでしたが、駐在日本人も三千人近くいるそうで、イラン全土の5倍前後とびっくりの値です。経済規模を考えてもイランはかなり大きな山だとはおもいますが、やはり経済制裁と国内の意味不明な法律が進出を邪魔しているのかなぁなんて思いました。

ドバイは日本食料理店も日本食屋もあり、正直日本料理店は自分で作った方が安いしうまいな、というレベルでしたが、内陸に住む自分にとって魚を食べる貴重な機会でした。

何よりネット規制でTwitter, Facebook, Youtubeがみれないイランに比べては少し自由度が高いので、かなりの文明を感じました。同時にイランで生きている自分の文化レベルを合わせているんだなぁということに気がつきましたが、イランにいると世界の変化に全然着いていけません。

Youtubeなどで日本の情報を生の動画でみて、日本への近さを感じました。普段日本に関連する仕事をしているわけではないので、情報は友達からのLineか日経新聞ぐらいしかみないのですが、改めて存在を認識しました。

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