イランの物価高から始まるデモについて

聖都市マシュハドから始まったでもがイラン全土に波及

12月28日木曜日、物価高について抗議するために、デモがイラン第二の都市かつ聖地であるマシュハドで発生しました。「大統領に死を」 イラン各地、禁令破り反政府デモ最初は物価高を理由にデモをしていたらしいのですが、そもそもでも自体禁止されているイランで大きなデモが起こるのもかなり異様な展開です。

また、物価高を理由にしているのにもかかわらず、なぜか「大統領に死を」など政治指導者に反発するスローガンが掲げられています。ことが大きくなったのがデモが発生したマシュハド以外の地域でも翌日以降にデモが波及し、イランの各都市で発生したことです。

イラン各都市に波及したデモの行方は

金曜日は祝日であり、礼拝の日でもあるので、人々が集まってデモが発生するのは不思議ではないのですが、その後も呼びかけは続けられ、平日である土曜日でさえ夕方デモが各都市で呼びかけられました。
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諸事情により画像は掲載することはできませんが、本当にイランの小さな都市、日本でいったら各都道府県の都市の規模でもデモが呼びかけられていて、時間と場所が記された画像が流布されていました。もっとも、Twitterで拡散されたのではなく、きっとTelegramで知り合い同士で拡散されたのだと思います。
翌日の新聞に書かれていてもおかしくないような情報ですが、新聞でもデモに関しての記事を見かけることはなく、ほとんどの場合口づてに情報を聞いていたようです。

イスファハンの場合

イスファハンでは今日12月30日(イラン暦10月9日)に反体制集会に集まる呼びかけがなされていました。

午後になると情報を得た警察による尋常ではない交通規制により、街を南北にわたる道路や橋が大渋滞で、バスも利用することができないので、歩いて中心部に向かいました。

結果、中心部に行くのは危険だということで全く近づけなかったのですが、中心となった広場では、催涙ガスが使われていてまたデモ隊と警察の衝突も起きていました。イラン人には「外国人は近づくとスパイだと難癖つけられて逮捕されるからよせ」と言われたので近づきはしませんでした。

しかしながらしばらくたつと、流れが変わって、人が自分の方になだれ込んで来ました。警察がデモ自体を畳み掛けにきたのか挟み撃ちにしようとして、東側と西側から大量の機動隊が近づいて来ました。彼らは全身を覆っていて、バイクに乗った二人組が警棒を振り回して、人々を鎮圧していました。

干上がった川に逃れて、なんとか凌ぎましたが、警察隊は群衆はもちろん、放置されたバイクなども叩き怖さしていて、半ば暴徒のような感じです。もちろん民衆側も石を投げ込んでいたりしましたが。暴徒鎮圧用の爆竹が鳴らされて危険だと思ったので、南側の地区に逃れました。

格好からは外国人とはわからないのですが、一つ危険を感じたのが「アフガニスンタン人が動画を撮ってるぞ」と言いふらされたときです。日本人はたまにアフガニスタンの中央アジア系の顔に見られるらしいですが、イランではアフガニスタン人の地位が低いのでこのままだと色々問題がありました。

安全な地区に逃れたらまたデモがやって来た

全ての地区がデモ活動をしているわけではないので、南側の地区ではひどい交通渋滞を除けば、普通の状態でした。なので、一緒に行ったイラン人の友達と状況について話していると、いつのまにかデモ隊がやって来てしまいました。
彼曰く、郡中は最初「独裁者に死を」と叫び回っていましたが、やがて、政府支持のシュプレヒコールに変わっていったそうです。

今日12月30日は2009年の大統領選にちなんで、政府支持の官製デモが予定されていたようですが、それではなく、政府支持の人々らしかったです。一瞬衝突するのかなと思いきや、郡中はぐちゃぐちゃになってなんだかわからないような展開になって終わりました。

今後のイラン

僕が街で見た限り、一部しか見ていないですが、このデモがイランの多くの都市で同時に起きているのだとすると、かなりの影響が政治にありそうです。イランの通信相は今回のデモの一旦を担ぐことになったTelegramに対して規制が必要といっており、検閲の状況が変わることもあります。また、最近若干ですが政治的状況によって、通信速度が制限されているのを感じます。

正直、今回の一連のデモは何かを打倒することを目的にしているわけでもなく、また政治的に政策を変えさせることを具体的に要求しているわけでもないので、かなり不思議な展開です。なぜ今という質問が最初に来てします。

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