イラン人から私たちも見習うべきもの

毎日のように書類で走らされ、変な注文をつけられるというような具合で、朝令暮改なイラン人に、最近かなりの迷惑を被っているところです。昨日ルームメイトと出会ったばかりなのに、なぜか今日も「大きい部屋があるからそっちに移動しないか」なんて提案されて、目が丸になりました。部屋は大きくて、二人で住むには良さそうですが、地下なので、光が全く入って来ず、朝だか夜だかわからないような部屋なので、キャンセルしましたが。昨日引っ越してきたばかりなのに、今日また引っ越さないかなんて、普通言えるもんじゃないと思います。

ただ恨めしいと思っているだけではなく、この住居のマネジメントが至らないだけであって、普通のイラン人々の生活を除いていて、見習うべき姿がありました。

こういった体験が新鮮なうちに、整理しておきたいと思って、ちょっとまとめて見ます。

挨拶が絶対

いつもサラーム

ここにきて感じたのが、挨拶の重要さと、敷居の低さです。自分が外国人だからこう言った体験をしているという面もあるのかもしれませんが、普段は挨拶しないような知らない人でも、顔を合わせたら「サラーム」と。

外国人に対して好奇心で挨拶してくる人もいますが、生活しているとあまり関係のなく、普段だったら日本では挨拶しないような人へも「サラーム」挨拶の敷居がとても低くなっていると思います。

いつでも「サラーム」「サラーム」は小さい子供でもできるから立派です。小学校の近くに寮があるのですが、朝一番の挨拶大きな「サラーム」で始まります。

つい挨拶は遠慮してしまうのですが、「サラーム」は1日のどこの時間でも使用できるので超便利です。挨拶が関係を作っていくのを感じて重要さを改めて知りました。

いつもありがとう

愚痴ばかり言っていてもしょうがないです。彼らはいつも感謝の言葉を口にします。コンビニで決済して、何も言わずに去っていく日本人もいるのにな…と毎回思わされます。

感謝の言葉を告げたら必ず、「どういたしまして」の言葉も返ってきます。自分の感覚だと、日本語でどういたしましての言葉はあまり言わない傾向があると思うのですが、イランんの人々は必ずハーヘシュミコナム、という言葉が返ってくるのです。

ネチネチとしたコミュニケーションも時にはありますが、イランを離れる時には、こう言った会話が恋しくなると思います。

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